大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和45年(あ)1969号 決定

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人森美樹の上告趣意第一は、判例違反をいうが、引用の判例は事案を異にして本件に適切でなく、同第二は、事実誤認の主張であり、被告人本人の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。

なお、所論にかんがみ職権で調査すると、原判決判示の状況によれば、本件道路標識は、本件交差点に北方から進入して右折西行する車両との関係では、通常の運転をする者が容易にその内容を識別できる適法有効なものといえず、これを有効とした原判決には判決に影響すべき事実誤認、法令適用の誤があるけれども、東京都内においては、その全域につき、普通自動車等の最高速度を四〇キロメートル毎時とする原則的指定がなされ、かつ、この規制が本件標識と同内容の多数の道路標識によつて適式に行なわれていることは公知の事実であり(最高裁昭和三九年(あ)第二三八六号同四一年六月一〇日第三小法延決定・刑集二〇巻五号三六五頁参照)、かかる「区域」を指定してなされる規制は、別異の規制がなされていないかぎり当該区域内の道路の全部にその効力が及ぶと解すべきであるから、本件標識の前示無効は本件現場の指定最高速度が四〇キロメートル毎時であることに消長を来たさないのみならず、右規制の前示実施状況に照らし、東京都内を通行する普通自動車の運転者は、右速度を超える速度で進行するにはその道路がこれを許容する区間または区域内であることを確認する注意義務があるというべく、これを怠り漫然本件現場は右原則的規制を超える最高速度の定められている区間であると即断し、原判決が適法に確定するごとく六〇キロメートル毎時の速度で普通自動車を運転した被告人は、この点において結局過失による最高速度超過運転の罪責を免れるものでなく、その量刑も不当といえないので、いまだ破棄しなくても著しく正義に反しないものと認める。

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(村上朝一 岡原昌男 小川信雄)

弁護人森美樹の上告趣意

第一、判例違反

一、原判決は、本件当時原判示道路の交差点南西角附近に立てられていた、最高速度を毎時四〇粁とする旨の道路標識は、その道路標識に対向する直進車に対してはもとより、本件被告人のような右折車両の運転者に対する関係においても、最高速度の規制が有効になされていたものというのを妨げない、として本件道路標識による交通規制が適法かつ有効であると断じているが、右のような判断は明らかに次の最高裁判所の判例の見解と相反するものであり、ひいては法令の解釈を誤つたものである。

二、昭和四一年四月一五日最高裁判所第二小法廷が言渡した判決(刑集二〇巻四号二一九頁)によれば「道路標識は、ただ見えさえすればよいというものでなく、歩行者、車両等の運転者が、いかなる通行を規制するのか容易に判別できる方法で設置すべきものであることはいうまでもない。しかるに本件道路標識は、本件交差点の南東角にある元アメリカ銀行建物の角から心斎橋筋を約4.7米も南に入つた場所に設置されていたばかりでなく、その標識(矢印をもつて一方通行の方向を示しているもの)は、正確に西を指示しておらず、約四〇度も西南方を指示していたというのである。そのうえ本件記録によれば、本件当時、心斎橋筋の駐車禁止を示すものと認められる道路標識があつて、本件標識はその背後に一部重なり合うようにして設置されていたことが明らかであるから、その設置場所、設置状況にてらし、本件標識が、内北浜通りの東から西への一方通行を明らかに指示するものとはとうてい認められず、むしろ心斎橋筋の北から南への一方通行を指示するもののように見られるのである。このような標識の設置方法は道路交通法施行令の前記法条に違反するものであり、右標識によつては、心斎橋筋を南下して本件交差点を左折し、内北浜通りを東行しようとする車両等の運転者に対し、内北浜通りの東行を禁止する旨の通行規制が適法かつ有効にされているものということはできないといわなければならない。」のである。

この最高裁の判例で問題になつたのは一方通行の道路標識についてであるが、この法理は、本件のような最高速度の規制標識についても変らない。

三、もともと、道路標識に関する道路交通法の規定を見てみると、まず道路交通法第九条第一項では「公安委員会は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図るため必要があると認めるときは、道路標識又は道路標示を設置することができる」とあるが、同条第二項では「この法律の規定により公安委員会が行なう禁止、制限又は指定のうち政令で定めるものは、政令で定めるところにより道路標識等を設置して行なわなければならない」と規定しており、右規定をうけた道路交通法施行令第七条によると、道路標識等で行なう禁止、制限または指定等の中に、政令で定める最高速度と異る「車両の最高速度」(道交法第二二条)を含めているので、道路交通法第二二条第一項の規定に基く政令で定める最高速度と異る最高速度の指定は道路標識等を設置して行なわなければならないものであることは明らかである。

四、ところで道路標識の設置方法に関しては、道路交通法施行令第七条第三項において「公安委員会が道路標識又は道路標示を設置するときは、歩行者、車両又は路面電車がその前方から見やすいように、かつ、道路又は交通の状況に応じ必要と認める数のものを設置しなければならない」ときわめて抽象的に規定しているにとどまり、さらに道路交通法第九条第三項に基いて定められた総理府・建設省令である「道路標識、区画線および道路標示に関する命令」の第二条によつても、道路標識の設置場所が別表第一の「三二三」の下欄に「車両及び路面電車の最高速度を定める区域内の必要な地点又は区間内の必要な地点における左側の路端」とのみ定められているにすぎない。これは結局具体的な場所的状況に応じて道路標識が「前方から見やすいように設置」されているかどうか、また「必要な地点における路端」に設置されているかどうか判断するほかはないことを意味しているようである。

五、前記最高裁の判例によると、まず引用判例文の冒頭でも明らかなように、道路標識とは「ただ見えさえすればよいとというものではなく、歩行者、車両の運転者が、いかなる通行を規制するのか容易に判別できる方法で設置すべきものであることはいうまでもない」と、設置方法に関する原則(いわば設置思想ともいうべきもの)を強調している。最高裁のこうした見解は、前記の道路交通法施行令第七条第三項の「前方から見やすいように」という考え方と同趣旨であるが、「容易に判別できる方法」という点を強調したことで、単に「見やすい」という観点をさらに一歩押し進め積極的な設置思想を打ち出したものと解することができよう。

六、かくて、最高裁の見解によればいかなる通行を規制するのか「容易に判別できない」ようなかしある標識は、その規制じたいに効力がなく、運転者がそれを見落してもその過失責任を問うことができないことになる。

ところで、前記最高裁の判決によれば、設置方法に関するかしは

(イ) 設置場所に関するかし

(ロ) 維持管理に関するかし

(ハ) 設置状況に関するかし

とに分説することが可能と思われる。

まず、最高裁の判決中「本件道路標識は、本件交差点の南東角にある元アメリカ銀行建物の角から心斎橋筋を約4.7米も南に入つた場所に設置されていた」との点は(イ)の設置場所に関するかしに当る。すなわち、標識を立てた場所が適切でなかつた(かしがあつた)ということである。

次に、最高裁の判旨中「その標識は正確に西を指示しておらず、約四〇度も西南方を指示していた」との点は(ロ)の維持管理上のかしといつてよいであろう。すなわち道路標識の管理者は標識を常に破損、汚損、曲損などがないよう良好な状態に維持管理する義務があると考えてよい。不適切な方向に向いてしまう(原始的にせよ後発的にせよ)というのもこの種のかしと見るべきである。

さらに最高裁の判旨中「本件標識のすぐ前には心斎橋筋の駐車禁止を示すものと認められる道路標識があつて本件標識はその背後に一部重なり合うようにして設置されていた」点は(ハ)の設置状況に関するかしといつてよい。

そして、最高裁は、これら(イ)(ロ)(ハ)と三つものかしが重なつた結果判旨の標識はもはや「容易に判別できる」ものではないと判断したのである。

七、本件を前記最高裁の判例と比較すると、設置方法に関するかしの態容にきわめて共通するものがあることに気付くであろう。すなわち

まず第一に(イ)設置場所に関するかしの点については、本件道路標識は原判決も認めるように「交差点角から2.8米を隔てた場所に立てられていた」のである(原判決書三枚目の表参照)。

ところで警察庁交通局が昭和三九年一一月に設けた「道路標識等の設置および管理に関する基準」によれば、最高速度の標識は「最高速度指定区間内にこれと交差する道路がある場合には、交差する道路の幅員、交通量を勘案して、交差点から五〜三〇メートルの距離をおいて区間内標識を設置するものとする(建設省道路局、警察庁交通局共同監修道路標識ハンドブック訂正版八六頁参照)と定められている。

最高速度標識の設置基準がこのように交差点より五ないし三〇メートルまでの間に標識を設置すべきより要求している理由としては、直進車両のみならず、交差点で右折、左折する車両のことを考慮して、そうした車両が、右・左折を完了し、直進に移つたのちにおいて、その標識が前方から明らかに看取できることを予想してのこことと推察される。つまり、道路交通法第三四条にもとづき、徐行しながら交差点を右折または左折した車両が、その右・左折を完了し直進態勢に移つて正常の速度に戻ろうとするとき、その前面に速度標識が立つているのがもつとも望ましいのである。

前記設置基準は、そうした観点から五ないし三〇メートルという基準を設けているにちがいなく、このように幅のある数値が示されているのは、道路幅、交差点の広狭、形状、交通量等を勘案の上公安委員会と道路管理者がその範囲内でもつとも適切と思われる設置場所を決定することができるための配慮と考えられる。いいかえればこの五〜三〇メートルという数値の範囲内では、自由に(恣意的にという意味ではなく)設置場所を決定することができる(その範囲内では自由裁量権があるといえ、「道路標識、区画線および道路標示に関する命令」第二条の別表第一に定める「必要な地点における路端」の「必要な地点」もこの範囲内の地点であることが要求されるものと解されよう)が、その範囲を逸脱した設置場所では「前方から見やすい」(前記命令参照)場所でなく、また最高裁の判例にいう「容易に判別できる場所」でもないというべきであつて、それは速度標識の設置場所として明らかに不適切なものといい得る。

八、右の点に関し、原判決は「速度標識設置の場所に関する前記基準は訓示的規定であつて、たとえその場所が右基準に副わ」なくても運転者が「これを確認できるものであるならば、その標示は効力を失わない」(原判決書三枚目裏)と判示しているが、この解釈は正当とは思われない。

たしかに前記基準は、法律上のものではないが、道路管理責任者と取締当局者が相当の根拠をもとに自ら設けかつ公表した規範であり、具体的な標識の設置に当つてこの基準に拘束される必要がないとすれば、なんのための基準か判らなくなる。

基準は基準である以上、当局者によつて遵守されるべきであり、その基準に副わないものは、「違法でないまでも明らかに不適切」な標識として評価されるべきであろう。

九、ごく常識的に考えても交差点直近の速度標識が右左折とくに右折の運転者にとつてきわめて判別しにくいことは容易に想像できよう。運転者にとつて交差点での右折には異常に神経を使うものである。信号機、歩行者、対向車、先行車、追随車、進行方向等にまんべんなく注意を払わなければならない。その中途において(すなわち右折を完了しない時点において)速度標識をも判読せよというのは、いたずらに苛酷な条件を付加するもとのいわねばならない。それが交差点の直近に速度標識を立ててはならない理由の一である。さらに、交差点直近の標識は、標示板の向きが右折車両にとつて判別しにくい角度となることも問題であろう。道路標識は「その前方から見やすいように」設置されねばならぬから当然直進車本位に標示板が向いており、通常直進車に対して標示板が直角に近い角度で対向している。

そうすると交差点直近の道路標識では、右折車に対して一八〇度ないしはそれに近似する角度を保つ結果となり、右折する運転者はほとんど標示板を真横からのぞきこむ格好になる。

そんな状態では、標示板に表示された標示内容を容易に判別できるはずはない。これが、交差点の直近に速度標識を立ててはならぬ第二の理由といえよう。

一〇、本件道路標識は原判決も認めたように、交差点角から、わずか2.8メートルしか隔つていない地点に立てられていた。このことは前記の設置基準にも違反し、かつ、常識的に考えても設置場所に関して重大なかしがあつたものと認めることができる。このかしは前記最高裁の判例の(イ)設置場所に関するかしとカテゴリーにおいて全く異るところがない。このかしのみによつても本件標識は、交差点の右折車両の運転者に対し、速度規制の効力を有しないものというべきである。

一一、次に本件道路標識について、維持管理に関するかしを論じなければならない。

原判決も認めるように、本件速度標識は「本件当時その標示板が彎曲していた」(原判決書三枚目表)ものである。しかし原判決はこの「程度の彎曲であれば西新井方面から鹿浜橋方面に直進する車両の運転者からは右標示板により十分に最高速度毎時四〇粁の標示を確認することができるものと認められるから、この関係においては、これを有効標識であるとするのを妨げない」として、いわゆる直進車に対する関係でまず標識としての有効性を認め、いわゆる右折車に対しては「正規の方法で右折進行して鹿浜橋方面に向う車両の運転者において、右標示板に示された最高速度を確認することができないならば、その右折車両に関する限りは右標識をもつて、有効な最高速度の指示があつたということはできない」(原判決書四枚目表〜裏)と説きながらも、本件標識にあつては被告人が正規の右折方法に従つて右折すすれば「彎曲した本件標示板によつても指定された最高速度が毎時四〇粁であることを確認することができたものと認められるから、かかる右折車両の運転者に対する関係においても最高速度の規制は有効になされていたものというのを妨げない」(原判決書六枚目表)と結局、右折車に対しても本件標識の有効性を認めているがこの見解は承服しがたい。

一二、原判決は、次のような推定事実を前提に安易な論理を展開している。

(一)「本件標識は廃棄されて現存しないため、昭和四二年一一月一五日足立区検察庁検察事務官志賀正志撮影の現場写真①ないし③によりこれを推認するほかないのであるが、」(原判決書四枚目表)といい、こうした推認にもとづいて、標識の有効性を論じている。

(二) 本件標識板の標示板確認の可否につき、第一審の第三回現場検証の結果をよりどころとしているが、第一審が「その検証の際に使用した標示板の彎曲の程度が果して本件標示板のそれと同様であつたかは微妙な問題」としながらも「被告人撮影の前記写真①に基づいてその彎曲状態を再現したものである以上ほぼ実際に近い彎曲状態を示していたものと認めるのが相当」(原判決書五枚目裏から六枚目表)と本件標識の標示板の彎曲の程度についてもきわめて安易な推論を行なつている。

(三) 被告人が、正規の右折方法をとつたかどうかについても原判決は、第一審の第三回検証の結果をよりどころにしているが、これまた交通常識を無視して誤つた事実の認定を行ない、それに基づいて被告人の右折方法を正規なものではないと断定している。

右右(一)(二)(三)はむしろ事実誤認の問題であり、事実誤認については、あとで詳細するのでここではこれ以上立入つた主張はしない。

一三、本件速度標識は原判決も認めるように本件当時支柱を軸とした形で左右に屈折しており(原判決のいうように彎曲というよりへの字形に屈折というほうが正確)、この屈折によつて、被告人のような谷在家方面からの右折車両の運転者にとつては、その標示板の進行方向向つて左半分は右折しながら現認不可能な状態にあつた。このことは、すでに被告人が第一審第二審において証拠として提出ずみの各写真や8ミリフイルムによつて明らかである。

道路標識は、その管理者によつて常に良好な状態に維持、管理せられていなければならず、いやしくも「容易に判別できない状態」のまま放置することは許されない。

本件標識は、相当ていど左右に屈折していたものであり、右折車両の運転者にとつて「容易に」どころか「全く判別不可能」な状態にあつたと認められるから、本件標識の維持・管理に関するかしもまた重大であつたといわなければならず、このかしは、前記最高裁の判例の(ロ)の維持・管理に関するかしとカテゴリーにおいて全く異るところがない。しかも前記設置場所に関するかしとあいまつて、右折車両にとつて本件標識のかしの重大性はより深刻なものといわざるをえないのである。

一四、第三に本件道路標識の設置状況に関するかしを論じよう。

本件標識は、原判決も認めるように交差点角からわずか2.8メートルのところに立てられていた。ところで、本件交差点の形状は第一審判決並びに判決書添付の図面からも明らかなように正十字路交差点ではなく、東西に走る環状七号線道路を基準とすれば、谷在家方面から阿弥陀橋方面へかけての道路が環状七号線とやや斜めに交差している変形交差点であつて、その斜め方向とは北から南にかけて、東側にややふれた形状なのである。したがつて、本件標識は正十字路交差点の場合に比べ北(谷在家方面)から南進して交差点で右折する車の運転者(被告人の場合)にとつてあきらかに見にくい状況にある。

この点にするかしは前記最高裁判例の(ハ)設置状況に関するかしのカテゴリーに属するものと解して差支えなく、設置場所に関するかしとあいまつて、本件標識に関するかしをさらに重大なものにしていることは疑いない。

第二、事実誤認

原判決には判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認がある。

一、原判決のいう(イ)(ロ)地点を通過する右折方法について

原判決は「第一審第三回検証の際、検察官が被告人の右折進路であると主張した地点を通行したとしても、右標示板により最高速度が毎時四〇粁であることを認めることができたと認定しており」(中略)「しかも検察官の主張する地点が本件における正規の右折進路である中心点の直近内側に当り、かつ、この進路に従つて右折すれば、車両運転者は彎曲した本件標示板によつても指定された最高速度が毎時四〇粁であることを確認することができたものと認められる」(原判決書五枚目裏〜六枚目表)と交差点における車両の右折進路についてまことに安易な判断を下しているが、事実誤認もはなはだしいといわねばならない。

(一) なぜならばの地点はなるほど検証調書添付図面上は交差点中心の直近内側に当る地点と認められるが、じつさいには、検証調書の記載内容から明らかなように、車両の「右ハンドルの運転席に相当する」地点なのである(検証調書三の4参照)。

右検証は「被告人所有の普通車および東京地方裁判所備付の普通車を走行させて」行われたものであり、東京地方裁判所備付の普通車の車種は不明であるが、被告人所有の車両は、トヨペット・コロナである。

コロナの車両幅員は1.55メートルであり(自動車ガイドブック一九六九年版より)、右ハンドルの運転席は自動車の右側端から約0.3〜0.4メートルの位置にあると思われるから、運転席から車の左側端まで約1.15〜1.25メートル存在することを忘れてはならない。

すなわち、例えば(ロ)地点を基準にすると車両の位置は本上告趣意書添付の図面(一)の自動車αのような形になつて、中心点より進行方向左側に一メートル余車体がハミ出した格好にならざるを得ないのである。

これでは交差点中心の直近内側を進行したことにはならず(交差点の中心に車体が大きくかかつている)、それこそ正規の右折方法とはいえないのである。

(二) さらに道交法第三四条第二項に規定する「交差点の中心の直近」の意味内容を検討しなければならない。

交差点の中心はペンキや信号塔等で標示がない以上、運転者の目測によるべきで「交差点の形態に従い、社会通念上判断するよりほかはない。この場合、数学的正確さを必要とせず常識的に判断すれば足りる」(横井大三・木宮高彦著新版註釈道路交通法一七六頁)。

原判決はまずこの交差点の中心について幾何学的正確さを要求し、その直近という観念についても文字通り幾何学的に可能な近似点を求めているが、交通常識からいつて、中心標示のない交差点でそのような幾何学的正確さを運転者の判断に要求することは不可能を強いるものというべきである(仮りに原判決のような幾何学的正確さを前提としても原判決の論旨が誤りであることは前記(一)のとおりである)。

とくに本件のような変形交差点では、中心点の位置はごく「常識的に」判断するよりしかたがなく、さればこそ、むしろ「直近」とは幾何的中心地からあるていど距離を置いた地点であることが交差点交通の安全性を保つ上でのぞましいものといえよう。

げんに交差点中心の位置を示す道路標示の形態をみると

(イ) 円形標示(道路標識、区画線及び道路標示に関する命令第九条、別表第六「右折外小まわり」を規制するために用いられるもの)は内径二〜四メートル(外径は2.5〜4.5メートルになる」の白いペイントによる円形

(ロ) 菱形標示(前記別表第六「中心点」を指示するために用いられるもの)はやはり対角線が二〜四メートル(外枠まではさらに0.30〜0.40メートルプラスされる)の白いペイントによる菱形

(ハ) 円と菱形の組み合わせ標示(前記別表第六「右折内小まわり及び右折外まわり」を規制するために用いられるもの)は長径二〜四メートル短径〜一二メートルの白いペイントによる円と菱形の組み合わせ形

以上三種があり、いずれも幾何学的意味での交差点の中心点から一ないし二メートル以上離れた地点を通行すべきことが指示または規制されていることが窺われるのである。

(三) 以上の道路標示によつて交差点の中心直近という観念が、けつして幾何学的意味での中心の直近ではないこと、むしろそれより一ないし二メートル離れた地点を通行することが右折車両にとつて安全であることの有力を証左といわねばならない。

(四) 道交法第三四条第二項所定の「交差点の中心の直近の内側」という意味は、交差点交通の安全性と円滑性を維持するために、あるていど弾力性のある解釈をとるべきである。例えば片幅二車線、三車線の道路において並列する車両が右折する場合もし幾何学的意味での「交差点の中心の直近」を通らねばならぬとすれば、その地点に並列並進していた車両が殺到することになり危険この上ない。むしろたちまち大混乱大渋滞を惹起するのではあるまいか。このことは最高裁判所の付近の交差点(祝田橋交差点など)を想起すれば容易に理解できよう。

そうとすれば右折車両が通行すべき交差点の直近内側とは、上告趣意書添付の図面(二)の赤斜線部分を通行すれば足りると解すべきである。

二、被告人の右折方法について

原判決は、「職権で調査すると被告人が正規の右折方法により右地点を通過したという証拠はなく、被告人は原審及び当審を通じて右地点より更に北西側を通行して右折した旨供述しており、そのように右折通行したのであれば右標示板により制限速度が四〇粁であることを認め得ないことは原審第三回検証調書によつて明らか」(原判決書六枚目表〜裏)といい、地点よりさらに北西側を通行して右折した被告人の通行方法が正規の右折方法でないときめつけているが、第一審における第三回検証調書三の4によれば、同調書添付図面の①②地点は被告人運転にかかる普通乗用自動車の「右ハンドルの運転席に相当」する地点であり、被告人の車両の左側端はこれより少くとも一メートル余交差点の中心部に寄つたものであることが明らかである。この関係で図示すれば②地点を基準にすると車両の位置は本上告趣意書添付の図面(一)の自動車のような投影図を画くことになるのである。

これに右折に伴なう車両の最小回転半径をも顧慮し(当時被告人がのつていたコロナで最小回転半径は4.95メートル約五メートルである)、かつ、交差点の中心直近内側の意味を前記のように理解するならば①②地点の通過こそ正規の右折進行方向(交差点の中心の直近内側)というべく、これをもつて違法な右折方法と断じた原判決こそ、道路交通の実態と自動車の運動法則を無視した非科学的独断といわざるをえない。

三、以上の事実誤認は、原判決が、本件被告人の過失の態容を「被告人は前示のとおり道路交通法第三四条第二項に従い本件交差点の中心直近内側である地点を通過して右折すれば制限時速四〇粁の標示を確認することができたのであるから、その方法により右折し、制限速度を確認して通行すべき義務があつたにもかかわらずこれを怠り」としていること、被告人の実行行為を「右中心の北西側を通過して右折したために右標識の示す速度を見落してこれを超える速度で運転した」としていることのいずれの点についても事実の完全な誤認であるからこれが判決に影響を及ぼす重大な事実の誤認であることは明らかである。 以上

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